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人生朝露

人生朝露

障害者と荘子。

どうしようもなく、

悪かったわね!
荘子であります。

現在は、映画『アバター』と荘子であります。
アバター。

参照:映画「アバター(Avatar)」オフィシャルサイト
http://movies.foxjapan.com/avatar/

当ブログ 荘子と進化論 その35。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/201001120000/

当ブログ 荘子と進化論 その36。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/201001170000/

Zhuangzi
『故至徳之世、其行填填、其視顛顛。当是時也、山無蹊隧、澤無舟梁。萬物群生、連属其郷。禽獣成群、草木遂長。是故禽獣可係羈而遊、烏鵲之巣可攀援而閲。夫至徳之世、同與禽獣居、族與萬物並、悪乎知君子小人哉。同乎無知、其徳不離。同乎無欲、是謂素樸。素樸而民性得矣。』(『荘子』馬蹄篇 第九)
→「ゆえに、至徳の世というのは、束縛もなく人の行いは穏やかで、人々の瞳は明るかった。かつての至徳の世では、山には道も拓かれず、川にも船は無かった。万物は群生して、棲み分けをする必要もなかった。動物たちは群れを成し、草木は伸びやかに成長した。ゆえに、動物を紐に繋いで共に遊ぶことが出来たし、木によじ登って、カササギの巣をのぞいてみることができた。その至徳の世においては、動物たちと同じ場所に住み、万物と並んで暮らしていた。そこに君子や小人なんているはずがない。人々はさもしい知識も持たず、徳が心から離れず、無欲でいた。これを「素樸(そぼく)」という。素樸だからこそこそ民はあるがままでられる。」

・・・実際、『アバター』で、翼竜の巣に入って、竜と紐で繋がるシーンが印象的に使われていましたが、荘子の「是故禽獣可係羈而遊、烏鵲之巣可攀援而閲。(ゆえに、動物を紐に繋いで共に遊ぶことが出来たし、木によじ登って、カササギの巣をのぞいてみることができた。)」という記述と、ほぼ一致しています。


・・・で、もう一つ重要なのが、主人公・ジェイク・サリー(Jake Sully)の境遇です。
知魚楽。
彼は、傷痍軍人で車椅子生活を余儀なくされていたんですが、海兵隊としての資質と、もともとの被験者であった双子の兄弟の急死によって、アバターという肉体を遠隔操作して先住民を手なずけるという任務を与えられます。夢の中では先住民、現実世界では足の不自由な男という二つの顔があります。これは、「胡蝶の夢」や「知魚楽」という荘子の寓話にやたら類似点があります。似たような話は、以前しました。

参照:当ブログ 「火の鳥 復活編」と荘子。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5019

『荘子』という書物において、「役に立たない木」と同様によく出てくるのが「足のない男」でして、これも「荘子」と「アバター」の共通点ですね。

Zhuangzi
公文軒見右師而驚曰「是何人也?惡乎介也?天與、其人與?」曰「天也、非人也。天之生是使獨也、人之貌有與也。以是知其天也、非人也。」(『荘子』養生主 第三)
→公文軒は、片足のない右師を見て驚いて言った「その足はどうしたのだ?何者の仕業なのだ?天か?人か?」右師は応えて「天だな。人ではない。天が俺に片足で生きていくよう命じたのだ。人の姿形は天が与えてくれる。今俺は足を失った。結局はこれは天命ってやつだ。」

徳充符篇、駢拇篇も障害者についての話が多いです。荘子にとって、差別は敵ですから。

Zhuangzi
「申徒嘉、兀者也。而與鄭子産同師於伯昏無人。子産謂申徒嘉曰「我先出、則子止。子先出、則我止。」其明日、又與合堂同席而坐。子産謂申徒嘉曰「我先出、則子止。子先出、則我止。今我將出、子可以止乎、其未邪?且子見執政而不違、子齊執政乎?」申徒嘉曰「先生之門,固有執政焉如此哉?子而説子之執政而後人者也!聞之曰「鑑明則塵垢不止、止則不明也。久與賢人處、則無過。’今子之所取大者,先生也,而猶出言若是,不亦過乎!」子産曰「子既若是矣、猶與堯争善、計子之徳不足以自反邪?」申徒嘉曰「自状其過以不當亡者衆、不状其過以不當存者寡。知不可奈何而安之若命、惟有徳者能之。遊於羽之殻中、中央者、中地也、然而不中者、命也。人以其全足笑吾不全足者多矣。我怫然而怒、而適先生之所、則発然而反。不知先生之洗我以善邪!吾與夫子遊十九年矣、而未嘗知吾兀者也。今子與我遊於形骸之外、而子索我於形骸之外、不亦過乎!」子産蹴然改容更貌曰「子無乃稱!」(『荘子』徳充符 第八)
→申徒嘉(しんとか)とは刑罰で足を切られた兀者である。鄭の国の子産と共に伯昏無人(はくこんぶじん)という先生に師事していた。子産は足のないこの男と共に帰るのが嫌だった。「私が先に帰る時は、君は残れ。君が先に帰るなら私が残ろう。」(中略)「私は鄭の国の宰相だ、君と同格に見られたくない。分かってくれるか?」
→申徒嘉は応えて「先生の門下にあっては、一番偉いのは先生だ。宰相の身分なんて関係ない。『清らかな鏡は傷つかない』というではないか。素晴らしい先生の下に学んでいれば、人は過ちを犯さなくなるというのに、君が言っているのは先生の教えてくださることと逆のことだ。」
→子産はさらに言う「君は刑罰を受けて、足を切られたのだろう?そんな君が舜や堯の偉大な徳に並ぼうとしているが、それは君が罪を反省していない証拠じゃないのか?」
→申徒嘉はさらに応えて「世の中には自分は自分の罪を認めたくないからといって、刑罰は不当だと弁解する人は多い。足を切られてもその命を受け入れることが出来る人は希だろう。(中略)私には足がない。自分の姿を見て笑われることなんて慣れてもいいのに、今でも怒りがこみ上げる。でも、先生の下で学んでいると、そんな気持ちが無くなってしまうんだ。先生の教えがそんなちっぽけな傷を洗い流してくれるんだ。先生の門に入って、もう十九年にもなるが、先生は一度だって私を足のない罪人扱いなんてしたことはない!今、私たちは形のない世界について同じ先生の下に学んでいる。そして、君はまだ形にとらわれている。そうではないか?」
→子産は急に顔色を変えて「もう、その話はしないでくれ。」とだけ言った。

Zhuangzi
「甕瓮大痩説齊桓公、桓公説之、而視全人、其短肩肩。故徳有所長、而形有所忘、人不忘其所忘、而忘其所不忘、此謂誠忘。」(『荘子』徳充符 第八)
→首に禍々しい瘤ができた男が、斉の桓公に教えを説いた。桓公はその教えに大いに感じ入って何度もその男に会った。その後、桓公が普通の人を見ると、普通の首がやせ細って物足りなく感じるようにすらなった。徳が長ずると人は外見に左右されなくなる。しかし、人はどうでもいい外見にばかりとらわれて、人にとって本当に大切な内面の徳を忘れてしまう。こういうことが本当の意味での「忘れる」ということだ。

・・・この辺にね、「火の鳥」の我王も感じるんです。

参照:当ブログ 「火の鳥 鳳凰編」と荘子。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5018

ちなみに、
酔拳
酔八仙にも障害者がいます。

参照:ジャッキー酔拳演舞
http://www.youtube.com/watch?v=90rYTv2tuVU&feature=related

李鉄拐。
「片脚モーレツ蹴り」の、李鉄拐です。足が不自由でも道教では仙人になれます。

Zhuangzi
連叔曰「然、盲者無以與乎文章之觀、聾者無以與乎鐘鼓之聲。豈惟形骸有聾盲哉?夫知亦有之。是其言也,猶時女也。」(『荘子』逍遥遊 第一)
→連叔は言う。「確かに、盲者は文章を目で感じ取ることは出来ず、聾者は鐘の音を耳で感じととることはできない。ただ、それは肉体において見えないとか聞こえないなどという話だ。知者と呼ばれる人の中にも、真実を見ることや聞くことが不自由な者がいる。それは、あなただ。

ジェームズ・キャメロン。
ジェームズ・キャメロンが荘子を意識しているのは、ほぼ間違いない話でして・・次に、日本の「銃夢」を実写化するんですよね。

参照:Wikipedia Battle Angel Alita
http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_Angel_Alita

銃夢 L.O.12。
だってね、「銃夢」って、「攻殻機動隊」と同じで東洋人の描く「機械と心」の話だし、夢の話も大事な鍵だし、L.O.になっても「田舎荘子」の「猫の妙術」を出してんですよ。

参照:当ブログ 武道と田舎荘子。 
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5013 

Zhuangzi
ぜってー狙ってんだって!

荘子を!!

今日はこの辺で。


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